どうも、りかちゅうです!この時代は思考停止にさせるような仕組みになっています。なんでそんなことが言えるのか?だって子供の時からそういう育成をされているからです。どういうことかと言いますと学校なんてただの洗脳教育ってことです。あれは教育のためにある場所ではないです。むしろ、思考停止にさせる場所です。集団行動の時点でそうなるのも無理ないですが。ですので、この記事にてその話をしますね!
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なんのために学校があるのか?
勉強をするため、集団行動の訓練のため、家族以外の人と交流するためだろと思う人が大半でしょうね。一見そうかもしれませんね。現に学校があったことでこの私も基礎的な学力がついたことに関しては感謝はしていますよ?とは言ってもそれくらいです。それ以外に関してはただの洗脳としか思えないですね。あと基礎学力がついたとは言っても詰め込みすぎるやり方のせいで一部の好奇心は失いましたね。
現実は洗脳教育!
学校は学びの場であるのは表向きの話です。本当はただの洗脳教育です。簡単にいえば悪達のやっていることに目を向けないでひたすら働いてくれる人を作る場って感じですね。集団行動なんでまさにそうですよ。指示をする人の意見は絶対って感じですからね。日本のコロナ禍の学校生活を見ればそれが顕著に分かりますね。
また、勉強とは言ってもなんのための勉強なのかとかいちいち教えません。むしろ、テストに出るから勉強しろみたいな感じです。そのせいで、子供たちは勉強意欲を失いますよね。テストで線引きされても楽しみもないですからね。このように、学校って勉強面も生活面も洗脳させるためにあるところなんです!
学校は思考停止の現場である事例
要するに、学校なんて思考停止を促すような場所であるということです。ですので、その具体的な事例をこれから話しますね!
1.勉強の意義を教えない
学校ではいろんな科目の学問をしますね。その際に学校でなんのために学習するのかとか教えてもらいましたか?大半の人がNOと言うと思います。むしろ、大半の人が学校の内申点を上げるために勉強していたと思うんですよね。内申点が低いとお咎めされますもんね。このように、学校の勉強なんて極論点数取れればなんでもいいんです。それ故に将来のための知識がない人が増えているのかなと思われます。
※各科目の学習意義を知れば自分を救ってくれるための知恵は身につきますよ。
2.好奇心を失う
ここ最近思ったことなんですよね。私は江戸文化が嫌いでした。なぜなら、学校の勉強だとひたすら覚えないとやっけてないからです。分かる人には分かると思いますが江戸文化は膨大な量ですよ?あれを全部覚えろなんて無茶振りです。それ故に江戸文化にヘイトを溜めていました。ですが、「べらぼう」の放送を機に色々調べると江戸文化の面白さに気づきました。平賀源内が「土用の丑の日」というキャッチコピーを作ったのは未知との遭遇でしたね。あれは元は商売目的だったんですね。
このように、学校の勉強スタイルのせいで好奇心って失われてもおかしくないんですよね。難しいことばかり言っているし尚更のことです。これって致命的ですよ?なぜなら、人間って「なぜ」という疑問を持つことで無知から脱出することができるからです。要するに、知らないことや分からないことを知るためには何事にも疑問を持つことが大切ってことです。
3.ダブルバインドで人を束縛する
個性を大切にしようとか言いながら少しでも逸れてる人間がいたら取り締まりますよね。本音は先生的に扱いやすい人が増えて欲しいって思っているとしか思えません。また、散々生徒に厳しいことを言いながら先生たちはたるんでますよね。お菓子禁止とか言いながらお菓子食べながら仕事してる輩とかいるでしょうね。このように、建前ではいいこと言っているようで現実は鬼畜なことを子供に押し付けてるのが現実です。
学校という名の集団行動で起きる弊害
学校といえば集団行動ですね。ただ、これあまりに規模が大きすぎるため弊害しかないんですよね。ですので、そのことに関して話しますね!
1.いじめ
いじめっていじめる側かいじめられる側どっちが悪いのかみたいな論争はありますよね。あれ論争したところで解決にならないですよ。なぜなら、集団行動をしている限りいじめは無くならないからです。2・6・2の法則はご存知ですか?2割は集団行動において上層部となる。6割は中間層。残りの2割は落ちこぼれってやつです。これは会社や学力、人間関係などにも通じます。
この法則がある時点でどんな学校でも下の2割の層は発生します。となると、その2割がいじめられる可能性が高くなります。いや、いじめって下の2割の誰かがいじめられる側に回っているだけです。となれば、いじめを止めるには集団行動をなくす以外解決方法はないと思いますよ?
2.スクールカーストを拗らせる
学校といえばこれですね。スクールカーストが起きる理由はいじめと同じように2・6・2の法則があるからでしょうね。いや、それしかないと思います。
それで、どう拗れるのか?本来ならば仲良くしたい人と仲良くするのが人間関係の在り方だと思うんですよ。ですが、スクールカーストがあるせいでそうはいかなくなるのかなと。一軍の人間とだけ仲良くしたいという欲や別にそれほど好きじゃないけど保身のために中心のメンバーの人の意見に合わせるなどがまさにそうですね。こんな生き方って楽しいですかね?私的には自分の心を殺して得られるものってないとは思いますよ?
3.長いものに巻かれる文化が生まれる
一人一人の意見を尊重しよう、個性を大切にしようって言葉があるじゃないですか?これって集団行動では実現しませんから。むしろ、長いものに巻かれるような文化になるのかなと。理由はまず個性を大切にしたらカオスになるからですね。コミュニティによっては秩序もなくなるのかなと。そこで、個性を潰してでもある程度のルールが作られるのかなと思われます。
そして、何度も言っているあの法則があるせいで上の2割の人間の権威が強くなります。そうなると、特定の人の意見しか通らなくなりますね。このように、集団になると自ずと長いものに巻かれるようになります。それ故に考えることをしなくなる人が増えるのかなと思われます。
義務教育の罠
日本国憲法になってから小学校と中学校には通うことは義務化されたじゃないですか?あれって表向きは子供の教育のためって言われてるじゃないですか?ですが、本当は違います。実は没個性を促すための政策だそうです。
戦前までは学校に行くタイミングに関しての決まりはそこまで強くなかったそうです。確かに小学校までは義務でした。ですが、それ以降は緩かったそうです。そのため、中学校以降の生き方は人それぞれだったとか。ですが、日本国憲法ができてからは中学生も義務教育の範囲内になりましたね。それもあって、子供時代は学校に行くのが当たり前という風潮が生まれました。要するに、憲法で義務教育の範囲を増やしたことでみんな同じような生き方にさせたってことです。没個性は思考停止の始まりですね。
まとめ
みんながみんなしてではないですが学校の先生に逆らいまくっているガキとかある意味正常なんでしょうね。その空気感に抵抗したいという欲からグレているわけですし。ただ、そういう人たちでもコロナ禍では羊になっている人はいそうですが(世の中の闇を知るためのツールを持っていなかったんですかね?)。要するに、学校という洗脳教育に違和感を抱いて欲しいということです。それくらい今の学校教育はろくでもないと思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。
りかちゅう